私の実家じまい

山も田んぼもある田舎の物件は売れるのか?そんな実家じまいに取り組んだ1年間の記録

2023年6月6日 税額確定

今年度の市民税の納税通知書が送られてきて

譲渡所得の税額が確定した。

そこには申告した所得金額と全く同じ数字が記載されていた。

申告した内容が認められたということだ。

これで実家じまいに伴う一連の作業からすべて開放されたことになる。

やっと終わった。

 

 

 

 

2023年2月16日 確定申告

実家の引き渡しを終えて、すべてが終わった気になっていた。

ところがそうではなかった。

確定申告が待っていた。

 

先祖から引き継いだ土地と建物。

特例に期待したが、使えそうな特例はなかった。

経費もほとんど認められていない。

取得費用は、今さら調べようがなく、譲渡価格の5%。

譲渡費用は、維持管理にかかったさまざまな経費が認められない。

認められているのは、不動産屋に支払った仲介手数料と、売買契約に貼付した印紙代だけ。

そのほかに、墓の撤去費用、家財等の処分費用、そしてそれらのために実家に帰省したときの旅費交通費。これらはグレーだ。

 

とりあえず国税庁の確定申告のサイトにアクセスして、自分で申告書を作り、

今日、申告書を税務署に提出してきた。

いろいろと問われてもいいようにと、売買契約書など持って行ったが、

全くの無駄だった。

受付は文字どおり申告書に受付印を押すだけ。

中身のチェックは精査する部署が別にやるそうだ。

「申告額でとりあえず支払ってください。」と言われて、払込票を受け取った。

 

税額が確定するまで1~2週間。

それまで私の実家じまいは終わらない。

 

 

エピローグ

母の葬儀から1年。あっという間の1年だった。こんな急展開は全くの想定外だった。

コロナによる緊急事態宣言が頻繁に出される中、移動するのも大変だったが、コロナにかかることもなく、無事にやり終えることができた。

近所への挨拶を終え、いよいよ実家を後にするというとき、不思議と感傷めいたものはなかった。

長男としての責任を、親が期待していたような形ではなかったと思うが、果たしたという安ど感。もうこれからは草刈りを心配しなくていい。大雨が降ろうと大雪が積もろうと、実家のことを心配しなくていいという安ど感。そういう安ど感だけだった。

 

帰りの新幹線の中で妻と話した。

広島市内にいたままだったら、実家じまいしないで、ズルズルといった可能性が高いね」

「そうかしら?」

「実家に帰る交通費が少なくて済む分、結論を先延ばししていたと思う」

「遠く離れていて帰省に金がかかっていた分、早く決断できた」

 

4月。

実家を引き渡して1か月が過ぎた頃、買主さんから実家の桜の写真が送られてきた。満開だった。どこかの観光地の桜かと見まがうくらいきれいだった。

妻や姉たちとも共有した。

「上手に撮りはりますなぁ」

「墓前に見せに行きます」

「日本中のどの桜よりも母の植えた桜が一番」

買主さんは、「これからどんな四季が撮れるか楽しみ」と言ってくれている。

いい人に実家を託すことができて本当によかった。

 

3月11日 近所挨拶

これまでお世話になってきた近所の人たちに、妻と一緒にお礼に回った。

寂しくなりますねと言ってくれる人、若い人が後に入るので好意的に受け止めてくれる人、さまざまだった。

親戚の叔母さんとは話しが弾んだ。いつの間にか2時間が経っていた。子どもや孫のこと、家のこと、地域のこと、コロナのこと、ロシアのこと、そして老老介護の心配。

「80才になるが足腰が丈夫で介護施設には入れそうもない。この調子では100才まで生きるかもしれないが、そのとき娘は80歳。100才の親を80の娘が介護することになるのか?」と。

他人事ではない。自分たちもいずれそうなる。

どう返事したらいいか答えが見つからなかった。

 

幼なじみのHさんとは短く言葉を交わした。

「いろいろとお世話になりました」

「さみしくなるよ」

「墓参りで年1回は戻ってくるから」

「うん」

「じゃあ、また」

 

車に乗り込み、実家を横にみながら故郷を後にした。

3月11日 転籍届出の提出

地元の役場に出向いて転籍届出を提出した。

役場の窓口で

「転籍届出を出しにきました」

というと

「それではこれに書いてください。それと戸籍謄本を1通つけてください」

「戸籍謄本がいるんですか?」

「はい」

理由の説明がないので、納得がいかないまま届出書へ記入する。

戸籍の住所、筆頭者の名前、配偶者の名前、転籍先の住所、現住所、最後に届出者の署名、そして押印。

全部記入して提出する。

「これでいいですか?」

「名前のところ、姓はいらないので、消してください。ふりがなも」

「はい」

「押印は筆頭者と配偶者とで別々の印を押してください。書き直しですね」

「はい」

書き直して再び

「これでいいですか?」

「はい」

「印は実印を持っているので、それと認印とを別々に押すことにします」

「ええっと、押印は任意ということになったので、押しても押さなくてもいいです」

最初からそう言ってくれと思いながら

「はい」

転籍届出に戸籍謄本が必要な理由は最後までわからずじまいだった。たぶん転籍先の市町村に送付するのだろう。出ていく者には費用を負担してもらうという考え方なのだろう。

 

届出が終わると、空き家バンクと農地譲渡の担当者のところに行ってお世話になったお礼を言った。

「いろいろとお世話になりました」

「よかったですね」

「本当にありがとうございました」

最後に税務課にも立ち寄った。家屋敷税の課税の基準日があいまいだったので、念のため今年度の課税が行われないようお願いした。

すべてが終わると、役場を後にし、実家に向かった。

3月10日 移転登記申請書の提出

実家の引き渡しが終わると、移転登記申請書を提出するため、買主さんと一緒に法務局に向かった。

法務局ではまだ重要な作業が残っていた。

申請書類のホチキス留めだった。

先日の事前相談では、申請書と添付書類とを合わせて左上1か所をホチキス留めするよう言われていた。今朝、不動産屋の事務所でホチキスを借りてやってみたが、うまくいかなかった。そのため、法務局でもっと大きいホチキスを借りようと思っていた。

窓口で移転登記の申請に来た旨を告げると、担当者が出てきて、別の受付窓口に案内された。簡単に自己紹介をして、担当者にホチキス留めされていない申請書類を手渡すと、申請書と添付書類の一つ一つを確認し始めた。申請書類の1頁目に添付書類の名称を書いているので、それと添付書類とを照合しているようだった。

添付書類は、登記済証、登記原因情報、農業委員会の許可証、私の印鑑証明書、買主さんの住民票、固定資産評価証明書、そして登記経緯説明書だった。

確認が終わると、担当者が受領証に今日の日付けを書いて、「3月15日頃に登記が完了しますので、その2~3日後に取りに来てください」という。

私は言った。

「郵送でお願いしたいので、返信用封筒を付けています」

返信用封筒のあて名は買主の買主さんになっていた。

「登記済証は売主さんにお返しするんですが、どうしますか?」

「それも一緒に買主の買主さんのところに返してください」

「わかりました」

 

後日分かったことだが、登記完了証は、申請人である買主と売主の双方に交付されるので、郵送により交付を希望する場合は、返信用封筒を買主あてと売主あての2つを用意する方がいい。

 

私は低姿勢で尋ねた。

「あのー、申請書と添付書類とを一つにまとめてホチキス留めしなくていいんですか?」

「ええ、このままで結構です」

担当者はそういうと、大型のクリップを持ってきて、申請書と添付書類をまとめて挟んだ。

私は、買主さんと顔を見合わせながら、思わず言った。

「どうやってホチキス留めするか、それが最大の悩みだったのに!」

 

法務局を出ると、やっと肩の荷を下ろした感じだった。

買主さんに実家を買ってもらったことへのお礼がしたかった。買主さんに「今夜どうですか?」と持ち掛けると、「いいですよ」と応じてくれたが、肝心の店が見つからなかった。宿泊先のホテルにも断られた。

やむなく「次の機会にぜひ」と約束して別れた。

3月10日 引き渡し

実家に帰る前に郵便局に向かった。現金を持ち歩くわけにはいかないので、預け入れる必要があった。大金の預け入れに怪しまれないかと思ったが、何も言われることなく無事に預け入れることができた。

それが終わると買主さんと一緒に実家に向かった。

到着すると、玄関の鍵を開けて中に入る。昨年11月以来4か月ぶりの実家だった。

窓という窓を開けて家の中に風を通し、空気を入れ替える。

それが終わると、井戸ポンプの立ち上げだ。ポンプのカバーを取り外し、呼び水栓を開け、水がオーバーフローするまで入れて、ポンプの電源を入れる。すると蛇口から水が出てきた。正直、水が出てくるまでは不安だった。ポンプを更新して初めての越冬だった。凍結とか変なトラブルがなくてよかった。

そうこうしていると、隣家で幼馴染のHさんがやってきた。買主さんに用があった。地域全体の総会への出席案内だった。

用件が済むとHさんは私に言った。

「井戸の水が枯れるのは、長い期間ポンプを止めるのが原因らしい」

初耳だった。これまで家をほとんど留守にしており、その間ずっとポンプの電源はオフにしていた。かれこれ10年以上になる。

これからは買主さんが住み続けるからその心配はなくなる。

 

実家にはまだわずかだが自分たちが帰省したときに使っていた食器類、衣類、布団類などが残っていた。当初の予定ではそれらを処分することにしていたが、買主さんの好意で置いておくことになった。ただし、さすがに衣類だけは持ち帰ることにした。