仏壇は一家に2基それとも1基?
仏壇は夫婦別々に設置するのか、それとも一家に1基でいいのか?
実家には立派な仏壇が据えられていた。高さは自分の身長と同じくらいあった。母が毎日熱心にお参りしていた。それを処分するのは抵抗があったが、実家を処分するために仏壇を含めて不用品はすべて処分することに決めていた。
仏壇を自宅に移設することも一瞬考えたが、自宅が狭すぎて無理だった。代わりの仏壇を設置して、そこに先祖の霊を祀るしかなかった。
しかし、自宅にはすでに小さいながらも仏壇が1基あった。妻の親の霊を祀っていた。
そこで問題が発生した。
妻の親を祀る仏壇とは別に自分の先祖の霊を祀る仏壇を設置するのか?
自宅には仏壇を2基設置するほどの広さがあるわけではなかった。出窓をつぶしてそこに設置する案もあったが、方向がよくなかった。1階と2階に設置すると管理が大変そうだった。そんなこんなでなかなか結論が出なかった。
しばらくして妻が「1基でいいのでは」と言い出した。
偶然にも妻の実家も自分の実家も浄土真宗本願寺派だった。だから宗派上は問題なかった。しかし、いままで妻の親の霊を祀っていた仏壇が、ある日から急に両方の先祖を祀る仏壇になることには違和感があった。それまでたいして信心もしていなかったのに。
ネットで調べてみた。
一家に1基でいいとあった。そもそも仏壇は先祖の霊を祀るためのものではなかった。阿弥陀様を安置する場所だった。
念のため菩提寺の住職にも聞いてみた。やはり1基でいいという返事だった。
そして「過去帳にご先祖の戒名を書いて祀ってください」と言われた。
8月26日 雨戸の見積もり
雨戸の取り付け工事の見積もりが送られてきた。
大工さんがわざわざ市内の業者から見積もりを取り寄せてくれた。
金額は65万円と書かれていた。
想定していた額の倍だった。
窓枠のサイズが「特寸」と書かれていた。
決断を渋っていると、大工さんが言った。
「これまで大丈夫だったんだから、大丈夫だよ」
そう願うことにして、雨戸の取り付けは断念することにした。
「大工さん、申し訳ない」
8月23日 レコードの買い取り
実家から持ち帰ったレコードを買い取り屋に持ち込んだ。
学生時代によく聞いていたカーペンターズやビートルズのレコードだった。大学を卒業して大阪に就職することになり、実家の蔵の2階で保管していた。その後はすっかり忘れていたが、最近のアナログブームで昔のレコードが見直しされている。
広島より横浜の方が高く買い取ってくれるのではないか。そう期待して、わざわざ横浜まで車で持ち帰ったものだった。SP盤も合わせると、全部で30枚くらいあった。
カーナビで目指すお店を設定し、出発した。車で走ること20分、そこに買い取り屋さんがあった。
「レコードの買い取りをお願いしたいんですが」
「ここに名前と住所と連絡先を書いてください」
待つこと20分。
結果は期待外れに終わった。店員さんが説明してくれた。
「高価なレーベルのついているものがないんで」
全部で500円だった。
8月18日 雨戸の見積もり依頼
実家に雨戸を取り付けたらどれくらいかかるか、見積もりを依頼した。
先日の帰省の際、台風から変わった温帯低気圧の強風で縁側のガラス戸が割れる寸前まで行った。
留守中にガラス戸が割れると、大変なことになってしまう。
ガラス戸の耐風圧はいったいどれくらいの設計になっているのか?
ネットに適当な言葉を打ち込んで調べてみる。JISの耐風圧性能のデータがあった。基準風速が30m/sとなっていた。正確なことはよくわからないが、30m/sまでだったらたぶん大丈夫なのだろう。
過去の台風でどれくらいの強風が吹いたのか?気象庁のデータを調べてみる。一番近い測定地点のデータでは最大で23.3m/sだった。
これまではセーフだったのだ。
しかし、今後も大丈夫とは言い切れない。
そう思うと、いてもたってもいられなくなり、「雨戸をつけなければ」と考えるようになった。
なじみの水道屋さんに電話した。水道屋さんの仕事ではないが、大工さんに見積もりを取ってもらうようお願いした。水道屋さんは「うん。いいよ」といって快く引き受けてくれた。
8月11日 妻、半月板損傷
帰省の疲れが出たのか、妻が右ひざの半月板を損傷した。
自宅近くの商店街を歩いていて、突然歩けなくなり、通りすがりの人の助けで病院に担ぎ込まれたらしい。
連絡をもらって病院に行くと車いすに座って診察の順番待ち。これは大変だ。名前が呼ばれて診察室の中に入る。その間は外で待機。しばらくして出てきた。半月板損傷だった。全治1か月。
コロナ禍で運動不足になっているのが影響したのかもしれない。
8月9日 温低直撃
台風から変わった温帯低気圧が実家を襲った。
前々日から台風が直撃することが予想されていた。
しかし、上陸すれば、通常、勢力が弱まるので、実家にとどまって台風の通過を待ち、それから横浜に戻ることにした。
台風は予報どおり前日の夜半には通過した。それにもかかわらず、風は強まるばかり。テレビは、台風から変わった温帯低気圧が異常発達していると伝えていた。
朝になっても風は強まるばかりだった。
風速30m超はあっただろうか。庭に面した縁側のガラス戸が強風でたわむ。いまにも割れそうだった。ガラスを手で押さえる。無駄とわかっていても、そうせずにはいられない。割れたらケガをするかもしれない。孫たちをガラス戸から遠ざける。
ガラス戸のレールから雨がしみこみ、濡れ縁状態になる。雑巾で格闘すること1時間。
昼前、やっと風が弱まってきた。雨も小降りになってきたので、実家を出発することにした。夕方の新幹線を予約していた。
戸締りをしていると、納屋のガラス窓の1枚が強風で吹き飛んでいるのを発見した。ガラスは粉々に飛び散っていた。そのまま放置して家を出るわけにはいかない。大急ぎで片付ける。割れた窓をどうするか。納屋の中にあった塩ビの波トタンをもってきて釘で打ち付ける。応急措置だ。見栄えは悪いが、気にしていられない。終わると急いで実家を後にした。
8月8日 孫たちと一緒の帰省
孫たちと実家に着いた。
いつものように井戸のポンプの電源を入れ、水道の蛇口から水を流す。
家中の窓を開けて風を通す。台風が接近中のせいか多少風が強いようだった。
孫の二人が家の中を走り回る。
一人が柱の傷を見つけた。
「これ、なあに?」
「昔、じいじが小さいときに背比べしたときの跡」
一瞬、昔の記憶がよみがえった。