私の実家じまい

山も田んぼもある田舎の物件は売れるのか?そんな実家じまいに取り組んだ1年間の記録

実家に戻るという選択

現役の頃、リタイアしたら実家に戻って悠々自適というのを考えなくもなかった。

春から秋の間は気候も良く、実家で野菜を作って過ごし、冬寒くなれば横浜に戻る。そんな生活を思い描いたこともあった。

しかし、実際にリタイアしてみると、そんなに甘くはなかった。

 

農業をしようにも、いくつか問題があった。

農業機械が一台も残されていなかった。昔使っていた耕運機はいつの間にか処分されていた。クワ一本で田んぼを耕すのは無理。中古のトラクターを購入する方法もあったが、そこまでして農業をする気にはなれなかった。

作物を育てることへの関心がなかった。ベランダ菜園にはトライしてみた。ベビーリーフやハーブの種を買ってきて小さな容器に植え、順調に育ち、料理にも使った。しかし、収穫の喜びや感動を感じることはなかった。

考えてみれば、これまで実家に戻るのは義務感だけだった。農業の手伝いも進んでやるということはなかった。自分から作物を育ててみるということもしてこなかった。

もう一つの問題は、仮に自分が農業をやったとしても、後の代が続かない。子供は生まれたときから街で育ってきた。田舎の経験も農業の経験もない。自分がやれたとしてもせいぜい10年。

 

それに実家の建物のあちこちで傷みが目立ち始めていた。台所の床はフワフワしていた。キッチンも錆が目立っていた。扉が2枚外れていた。風呂や洗面台も汚れが目立つようになっていた。納屋のトタン屋根も塗装直しの時期を過ぎていた。それらの修繕や補修には100万円以上の出費が想定された。

 

その一方で、廃屋にだけはしたくなかった。近所には廃屋になった家がいくつかあった。小学生の頃新聞配達しながら近所の家々を回った。その頃は立派な家だったが、今では母屋も納屋も土塀までもすっかり崩れ落ち、当時の面影はなくなっていた。そんな姿を見ると何とも切なかった。

後の人に実家を託す。それも責任の果たし方の一つだと思った。