母の葬儀から1年。あっという間の1年だった。こんな急展開は全くの想定外だった。
コロナによる緊急事態宣言が頻繁に出される中、移動するのも大変だったが、コロナにかかることもなく、無事にやり終えることができた。
近所への挨拶を終え、いよいよ実家を後にするというとき、不思議と感傷めいたものはなかった。
長男としての責任を、親が期待していたような形ではなかったと思うが、果たしたという安ど感。もうこれからは草刈りを心配しなくていい。大雨が降ろうと大雪が積もろうと、実家のことを心配しなくていいという安ど感。そういう安ど感だけだった。
帰りの新幹線の中で妻と話した。
「広島市内にいたままだったら、実家じまいしないで、ズルズルといった可能性が高いね」
「そうかしら?」
「実家に帰る交通費が少なくて済む分、結論を先延ばししていたと思う」
「遠く離れていて帰省に金がかかっていた分、早く決断できた」
4月。
実家を引き渡して1か月が過ぎた頃、買主さんから実家の桜の写真が送られてきた。満開だった。どこかの観光地の桜かと見まがうくらいきれいだった。
妻や姉たちとも共有した。
「上手に撮りはりますなぁ」
「墓前に見せに行きます」
「日本中のどの桜よりも母の植えた桜が一番」
買主さんは、「これからどんな四季が撮れるか楽しみ」と言ってくれている。
いい人に実家を託すことができて本当によかった。