初七日法要が終わると、住職に母の遺骨を預かってもらうことにした。
事情を説明すると、住職は「いいですよ」と快く引き受けてくれた。ところが、住職が帰った後に骨壺箱が置きっぱなしになっていて、慌てて住職の後を追っかけるハプニングがあった。
こうして母の遺骨を菩提寺に預けると、1週間ぶりに横浜の自宅に戻った。
実は、母が危篤になる4日前に新車が納車されたばかりで、ほとんど走らせていなかった。週末ドライバーで走行距離が少ないこともあり、バッテリー上がりを経験することがこれまでにも何度かあった。ある寒い冬の日、車で出かけようとしたらエンジンがかからないことがあった。また、スーパーの駐車場に止めて買い物が終わって帰ろうとしたらエンジンがかからないこともあった。
だから納車されたばかりの新車のバッテリーが気になっていた。2月の下旬とはいえこの一週間は寒い日が続いていた。新車が届いて早々に、「バッテリーが上がりました」というわけにはいかない。早く帰って車を走らせたかった。
つい先週までは、俳句、鉛筆画、ベランダ菜園、ウォーキングなどと曜日ごとにやることを決めて励んでいたが、もうそれどころではなかった。
死亡後の手続き、四十九日法要の段取り、香典返し、お墓の改葬、相続などやらないといけないことが急に増えた。それに、新車の交通安全祈願、市の図書館から借りた本の返却。
とりあえず慣らし運転も兼ねて川崎大師まで車を走らせた。バッテリーは何ら問題なかった。借りた本も返した。
自宅に戻って1週間。再び私は実家に戻っていった。母の死亡届出のためだった。