私の実家じまい

山も田んぼもある田舎の物件は売れるのか?そんな実家じまいに取り組んだ1年間の記録

実家の相続登記

実家の相続登記はどのようにして行われたのだろうか。実家の蔵の中の手提げ金庫から出てきた登記済証で振り返ってみる。

回数としては2回にわたって行われていた。いずれも司法書士に依頼されている。

1回目は、私がまだ10才のときで、父親が亡くなってすぐのときである。2回目は、それから35年が過ぎた頃、実家のある地区で農地改良と河川改修の事業が行われることになり、それがきっかけで相続登記が漏れていることがわかって行われたものである。

 

1回目の相続登記の申請

父が亡くなったとき、実家の土地は祖父の名義のままだった。このため、祖父名義の土地をいったん父が相続して、それを私が相続するという形での登記申請になっていた。

登記の対象となった土地は50筆余りあった。

申請書は和紙に筆で書かれていて、冒頭に、登記原因が記載してある。被相続人として祖父、相続人として父と私の名前がそれぞれ記載されていた。

祖父が亡くなったのが昭和25年で、終戦直後まで行われていた家督相続がなくなって遺産相続に変わっていた。遺産相続は、親が亡くなると、その財産は配偶者、子など法定相続人に相続する。そのため、相続人全員で協議して、例えば長男の名義にするのか、財産分与して分割するのか、あるいは共有名義にするのか、いずれにするかを決め、それを登記原因証明情報として作成し、登記申請書に添付する。

父が亡くなった後、実家は私の名義にすることが決まった。私が長男だったからだ。そのため、法定相続人である父の兄弟、母、そして私の姉合わせて10人から相続放棄の一筆がとられ、それが申請書に添付されていた。

当時は今と違って、ネットがなかったから、移転登記のノウハウを一般人が知るすべもなく、司法書士に依頼しないと登記申請はできなかった。しかも、50筆余りの土地の所在、地目、地積が1筆ごとに列記されていて、それを書き上げるだけでも大変に手間のかかる作業だっただろう。

 

2回目の相続登記の申請

このときは、1回目の申請で漏れていた土地と建物が対象だった。5件程度で数は多くなかったが、名義が祖父より前、つまり曾祖父と高祖父の名義のものが対象だった。

高祖父が亡くなったのが明治34年、曾祖父が亡くなったのが大正13年で、いずれも家督相続が行われている。家督相続とはその家の戸主が亡くなると長男がその家の財産をすべて相続するというもので、昭和22年まで行われていた制度だ。だから、曾祖父と祖父は家督相続、父と私は遺産相続ということになる。

このときの申請では、高祖父、曾祖父、祖父の除籍謄本と、1回目の登記申請の際に添付して登記後に返還された相続放棄の書面が添付されていた。

実は、相続登記が漏れている土地の中に1筆だけ、特異なケースのものがあった。それは、高祖父が家督を譲った後に取得した土地だった。家督相続した後に取得したため、家督相続とならず、遺産相続した形になり、高祖父の法定相続人のうち生存中の80人の方から相続放棄の一筆をとるという大変な作業を行った記憶がある。この顛末は別途記すことにしたい。

また、実家の建物の登記も行われていないことが分かって、このときに併せて保存登記の申請が行われている。

 

こうして振り返ってみると、相続登記の申請は、相続に関する民法の知識も必要で、それに精通していない者がやろうとして簡単にできるものではない。ましてほかに仕事を持つ者が片手間にやれるものではない。

今回は、売買に伴う移転登記の申請だった。幸いに仕事をリタイアしていて、ほかにやることもなく、時間はたっぷりとあった。それまでに携わってきた仕事の関係で行政への届出にもさほど抵抗を感じなかった。