私の実家じまい

山も田んぼもある田舎の物件は売れるのか?そんな実家じまいに取り組んだ1年間の記録

相続人41人による遺産分割協議

平成8年春のことだった。

実家のある役場から私宛に一通の手紙が配達されてきた。

何だろうと封を切ってみると、中には便せんが2枚。実家の土地で1筆だけ曾々祖父名義の土地があるので、それを私の名義に変えるために、遺産分割協議の署名を集めてほしいという依頼の手紙だった。

当時、実家のある地区ではほ場整備の事業が行われていた。小さくて曲がりくねった田んぼを、大型の機械が効率よく作業できるよう広くてまっすぐな田んぼに作り変える目的だった。そのためには、その地区の田んぼをいったん地区代表者の名義に集約しておいて、工事が終わった後に新しく整備し直した田んぼに振り分ける(換地)ことが必要だった。

当然、すべての土地所有者の同意が前提となる。

問題の土地は私と母が工事の着手に同意していた。工事の進捗とともに、換地のための名義人調査が行われ、そこで初めて、曾々祖父名義の土地があることが判明したのだった。

実家の土地は父が亡くなった翌年に私名義に相続登記されていた。しかし、ほ場整備事業がきっかけでその登記に漏れがあることがわかり、あわてて追加の相続登記をしているところだった。その中の1筆が曽々祖父名義の土地だった。

曾々祖父は生前中に隠居して家督を長男の曾祖父に譲っていた。いわゆる家督相続である。しかし、問題の土地は曾々祖父が隠居後に取得した土地だったため、家督相続にならず、遺産相続ということになったのである。

曾々祖父が亡くなったのは明治34年だった。

役場において相続人調べが行われた。明治34年は西暦に直せば1901年。それから95年が経っていた。調査の結果、自分を含めて41人の相続人がいることが分かった。

さて、相続手続きをどう進めるか?

役場において対応が検討された。その結果、私単独の名義にすることとし、それについて、41人の相続人全員から同意をとることになった。

そのような経緯を書いた手紙が私のところに配達されてきたのであった。

 

舞台はすっかり整えられていた。役場からの手紙の中には、相続人関係図と一緒に、「遺産分割協議及びほかに相続人がいないことの証明書」という文書も同封されていた。40人が今どこに住んでいるか現住所も調べてあった。

私に選択の余地はなかった。

私がすることは、私以外の40人の一人一人にその分割協議書を送って署名をもらい、印鑑証明書とともに送り返してもらうことだった。

しかし、そうはいっても大半は知らない人だった。いきなり分割協議書を送り届けても署名はもらえないだろう。印鑑証明もとってもらう必要がある。相手にとっては何の得にもならない。そう考えると、お願いとともに、これまでの経緯を簡単に記した手紙を書くことにした。それに相続関係図を添え、返信用封筒も同封した。そして署名をしてもらった方には謝礼としてテレホンカードを贈ることにした。

40人全員に発送し終わった。

しばらくすると返事がぽつぽつと戻ってきた。たいていの人は、署名済みの協議書に印鑑証明書を同封して送り返してくるだけだったが、中には「思わぬ形で自分のルーツを知ることができてうれしかった」とわざわざ手紙を添えて送り返してくれる人もいた。

半年が経った。

ほとんどの人から返事が戻ってきていたが、一人だけ、転居先不明で戻ってくるところがあった。督促状を2回送ったが、いずれも不明で戻ってきた。

一人でも同意が得られなければ、協議は失敗に終わる。

警察に捜索願を出すことを考えた。家庭裁判所に失踪宣告を出してもらうことも考えたが、いずれも妻に反対された。

「あなたがその人の身元引受人ということになってもいいの?」

もとよりそこまでの覚悟はないというか、損得を考えればその選択肢はなかった。

その代わり、妻は「不在者財産管理人」という制度があることを教えてくれた。不在者に代わって財産管理人が遺産分割協議に参加するという仕組みだった。

「うちの事務所で顧問してもらっている弁護士先生を知っているので、よかったら、その先生に頼んでみない?」

妻はそのころ不動産事務所に勤めていた。

その弁護士先生は銀座のビルに事務所を構えていた。「銀座」と聞き、報酬が高いことを覚悟した。しかし、ほかに方法はない。早速その事務所に出向き、経緯をざっと説明した。あまり乗り気ではないようだったが、最後は何とか引き受けてもらった。

早速、先生に分割協議書を送り、返事を待った。

年が明けてしばらくすると、弁護士先生を財産管理人として認める旨の家庭裁判所の審判の文書とともに、先生の署名の入った分割協議書が送られてきた。

 

こうして41人全員の分割協議書への同意を取り付けることができた。

役場から手紙をもらって1年が経っていた。

役場が職権で調べ上げていたので、相続人に漏れはなかった。

妻が弁護士先生を知っていたことも大きかった。

その先生とは今も年賀状の挨拶だけは欠かさないでいる。