1.改葬
49日法要が終わった。 母親の遺影写真は実家の仏間に安置した。本当は父や祖父母の遺影写真がかかっている鴨居に並べてかけたかったが、忙しくて、その時間がとれなかった。やむを得ず母が仏壇にお参りする際に腰かけていた椅子に安置。 遺骨は横浜の自宅に…
今度は水洗トイレのタンクの水が流れなくなった。 自分で調べても原因がわからないので、いつもの水道屋さんに電話する。 実家の留守の間に修理に来てくれることになった。
霊園の下見のため実家を留守にしている間に、水道屋さんに井戸のポンプの不具合の原因を調べてもらった。井戸もポンプも屋外にあるので、留守でも作業に支障はなかった。 調べてもらってわかったのは、井戸の水が枯れたらしいということ。 翌日、水道屋さん…
空き家バンクのことは、かなり以前から知っていた。毎年5月になると、地元の町役場から実家の固定資産税の納入告知書が送られてくるが、その封筒の中に、空き家バンクのリーフレットが同封されていたからだ。 実家の固定資産税の支払いは、10年位前から私が…
四十九日法要をはさむ前後の日程で霊園の現地見学を行った。 寺院墓地2か所、郊外の霊園3か所に予約を入れていた。 1日目は寺院墓地を回った。 寺院墓地は市の中心部にあるので、交通の便はいいが、価格が1区画数百万円と高かった。それに墓石代が加わるか…
四十九日法要のため今年3度目の帰省をした。 法要は地元の菩提寺で行った。 姉たち夫婦のほかに親せきからも出席してもらった。 法要が終わった後、実家のお墓を改葬し、広島市内に移すつもりであること、候補となる墓地のいくつかを下見していることなどを…
私の実家は広島県北部の山あいにある小さな集落にあった。 町の中心部から10kmほど離れた30戸ばかりの農家の集まった小さな集落だ。信号機はもちろん自動販売機もない。 標高は400mを超え、一昔前まではクーラーがなくても夏を過ごせた。その分冬は寒く、雪…
菩提寺の住職のところに改葬の相談に行ったときに、「お墓を移してもいいが、離檀は困る」と言われて、その意味が本当のところよく分かっていなかった。 お墓を無くすわけではないし、浄土真宗から別の宗派に改宗するわけでもないので、大した問題ではないの…
墓を解体撤去してくれる石材店は地元に2店あった。それだけでは心もとないので、少し遠方にはなるが、市内の業者でできるだけ実家に近い業者を調べて1店追加し、やってくれるか電話をかけて聞いてみた。 地元の2店はすぐに見積もりを出すと言ってくれた。し…
改葬場所の選定と並行して、お墓の解体撤去をやってくれる業者を探す必要があった。 実家のお墓は非常に古くて、明治5年に亡くなった5代前の当主の夫婦墓、4代前と3代前の当主の墓、祖父母の夫婦墓、父と母が入るはずだった墓、これらの墓がそれぞれ1基ずつ…
改葬先の場所は、3か所があった。実家のある地元、自宅のある横浜、そして姉や親せきのいる広島市内の3か所。 地元には、実家の菩提寺があったが、永代供養をやっていないということが分かったので、候補から外れた。自分たちが年をとってお墓の管理ができ…
ネットでお墓をいろいろ調べていたら、選ぶ際のポイントをまとめたページがあった。 全部で10ポイントあった。 ①立地 通いやすさ ②墓石の種類 和式か、洋式か、デザイン墓か。 ③価格 墓地の面積、墓石に使う石材の量、立地条件に左右される。 石材の量は、和…
横浜に戻るため実家から広島駅に向かう途中、ある霊園にぶらり立ち寄ってみた。 そこは、広島駅からさほど遠くない場所にあり、実家への行き来の途中に立ち寄るのに好都合で、改葬先として最有力候補だった。 行ってみると、あいにくとその霊園の定休日だっ…
帰省2日目は役場に行って、母の死亡に伴う手続きを済ませることにした。 死亡届出は次姉が提出してくれていた。 役場の住民生活課の窓口に行った。担当者が出てきて、「〇〇さんのお母さんの死亡手続きですよね?お姉さんから聞いとります」と言って、1枚の…
帰省初日の夜は、コンビニで買ってきた弁当とビールで一人寂しく夕食をとっていたが、お墓の改葬先をどこにするかで妻ともめてしまった。 葬儀のとき親族の前で、「お墓を広島市内に移すことを考えている」と自分の考えを打ち明けた。そのときは特段に反対も…
実家への帰省は自分一人だけだった。 新幹線の車内で墓じまいについて妻とLINEで情報交換をした。妻がネットで墓じまい専門店を調べ、電話もかけて情報をいろいろと集めてくれていた。 実家に着いてみると、1週間前に降った雪もだいぶん融けて、覚悟していた…
初七日法要が終わると、住職に母の遺骨を預かってもらうことにした。 事情を説明すると、住職は「いいですよ」と快く引き受けてくれた。ところが、住職が帰った後に骨壺箱が置きっぱなしになっていて、慌てて住職の後を追っかけるハプニングがあった。 こう…
葬儀はあっという間だった。 亡くなったのが真夜中だったこともあり、その日の夕方に通夜、翌日は告別式、初七日法要を行うと、2日目の午後2時過ぎには終わっていた。 葬儀場はJAが運営するホールだった。以前は故人の自宅で行われていたが、過疎化と高齢化…